
member
-
KODY
vocal
-
TABO
Drum
HISTORY
『KODY』
【小学生時代】
小学5年生まで、ぽっちゃりした体型で、運動嫌いの、家で友達とゲームをしたり、漫画を読んだりする事が好きな少年だった。
小学6年生の頃に、成長期に入り、急激に身長が伸び、体型もスリムになり、スポーツの楽しさに目覚め、サッカーにのめり込むようになる。
【中学生時代】
周囲からは、サッカー部に入ると期待されながらも、その期待を大きく裏切り、ソフトテニス部に入部。
「多くの友達がソフトテニス部に入ったから、その流れで」という、適当な理由からだった。
入部してしばらくは、テニスの練習に身が入らず、サボって、ずっとサッカーの練習ばかり見ていた。
そこに、たまたま来ていたOBの先輩に、素振りを褒められ、才能があると思い込み、その勘違いがキッカケで、そのままテニスにのめり込むようになる。
その勘違いから、レギュラーにまで昇り詰め、大会でも優勝、ベスト4など、まさかの好成績を収めるまでになる。
勉強と部活を両立しながらも、高校では、硬式テニスで上を目指す事を決意する。
【高校生時代】
硬式テニスをする事を目的にして、高校を選んだ事もあり、そのまま硬式テニス部に入部。
中学生の頃の先輩も多数おり、すぐに馴染む事が出来て、この頃には、勉強は手につかず、完全にテニス漬けの毎日を送るようになる。
この頃に、たまたま友達と行ったカラオケで、声を褒められ、バンド加入の勧誘を受ける。
しかし、全く興味が湧かず、テニスに没頭。
ただ、これが後に、音楽を意識するキッカケとなった出来事となる。
【大学生時代】
大学も、高校同様、テニスを目的として選んだという事もあり、入学前から練習にも参加し、当然テニス部に入部。
大学まで部活でスポーツをしてるとなると、当時は、ゴリゴリの縦社会の体育会系が多く、その洗礼をガッツリと受ける。
その中で、揉まれながらも、テニスに打ち込み、大会でも好成績を残し、ここでもテニス漬けの生活を送る。
しかし、卒業する頃には、テニスを続ける事の限界も感じ始め、違う道を考えるようになる。
【社会人デビュー期】
大学を卒業する頃に、就職活動等を経験するうちに、経営に興味を持ち、それを見越して、某飲食店に就職。
しかし、半年も経たない内に、店長と大喧嘩し、逃亡。
正社員として、入社したにも関わらず、そのまま飛んでしまうという大事件を起こす。
多くの方に、とてつもないご迷惑をおかけしたのは、言うまでもございません。
そこから、スーツを着たまま、何も持たず、全ての人の連絡を断ち、東京へ向かうという謎の行動を起こす。
そこから、東京でアルバイトを見つけ、ホテル暮らしを開始。
その間、親からは、警察に捜索願いを出される等、毎日、本当に色々な方から連絡が入る中、ひたすらに無視をし続けて、東京生活を送る。
【人生暗黒期①】
東京で生活を始めてから、わずか4ヵ月という短い期間で、お金が底をつき、実家へ戻る。
その時に、逃亡して以来、初めて親に連絡を取る。
戻ってからは、全てを説明し、全ての方に謝罪をし、一旦実家で生活する事のお許しを得る。
この頃は、テニス、経営、目標にしてたものを全て失った気持ちになっており、しばらく廃人のような生活を送る。
【1冊の本との出会い】
東京から大阪へ戻って、約1ヶ月間。
廃人のような生活を送る中で、たまたま立ち寄った本屋で立ち読みした本に、感名を受ける。
これが、再起を図るキッカケとなる。
もう1度、新しい目標を立てて、動き出す事を決意する。
【新しい目標】
テニス、経営、今までにやってきた、思ってた事とは違い、全く新しい目標を探す中で、ここで、高校生の時に、カラオケで声を誉められた事を思い出す。
大学生の時、社会人になってからも、よくカラオケに行ってた事を思い出して、歌を歌う事を意識するようになる。
【バイト生活開始】
歌を歌うという事を意識し始めて、そこから何をすれば良いのかが、全く分からない中で、色々な歌をコピーする事を思いつく。
そこで、色々な曲を知らないといけないと考えて、某CDレンタルショップでバイトをする事を思いつく。
この時期は、ひたすらバイトをして、お金を家に入れながら、CDを借りまくって、曲を覚えて、毎日カラオケに通って練習するという、修行僧のような日々を送る。
【崩壊】
ひたすらバイトをして、ひたすらカラオケで歌の練習をする毎日の中、親父が自己破産をする事になり、実家の経済状況が崩壊する。
その事により、親父がお酒に溺れるようになり、母親も精神状態が不安定になる。
【工場に就職】
自分が実家を支える事を決意し、バイトを辞め、工場に正社員として就職する。
工場の給料だけでは足りないため、副業も並行して開始。
しかし、この頃でも歌う事は諦めておらず、バイトの頃よりは、練習出来る時間はかなり減ったものの、細々と練習も継続する日々。
【ボーカルスクール入門】
毎日仕事で忙殺される中、「リハーサルスタジオ」という存在を知る。
本格的に歌を歌えるようになる為には、練習環境も大事という事で、練習場所にスタジオを利用するようになる。
その関係で、某ボーカルスクールを紹介され、週1で通うようになる。
【バンド結成】
ボーカルスクールで、1人のギタリストと出会い、意気投合し、バンドを組む事を目指すようになる。
街の楽器屋、スタジオを片っ端から聞いて周り、ベースとドラムが見つかる。
ボーカル、ギター、ベース、ドラムの4人が揃い、初のバンド結成が決まる。
【人生暗黒期②】
バンドを結成したものの、メンバー間での意見の食い違いから喧嘩をする事が多くなり、活動が停滞する。
ちょうど、この時期くらいから、仕事でキャリアを重ねた事もあり、さらに忙しくなり始める。
毎日の仕事が、かなり忙しくなる事と、バンドは上手くいかない事と、実家の環境もかなり悪化した事も重なり、精神的に追い込まれまくる日々が続くようになる。
【相方との出会い】
全ての事が上手くいかない状況が続く中、バンドを解散する事が決まる。
そしてさらに、あまりにも理不尽な事が多いという理由で、仕事も辞めてしまう。
ちょうどそんな時に、練習で通っていたスタジオの店長さんがやっているバンドのライブの誘いを受ける。
そのライブの打ち上げに参加した際に、現OFF LIMITSの相方と出会う。
【OFF LIMITS結成】
現相方と出会ってすぐ、バンドの結成が決まる。
相方が元々紹介したかったというギタリストと、自分が以前にやっていたバンドのドラムが参加し、初代OFF LIMITSが誕生する。
因みに、この頃の相方は、サポートメンバーでベースというポジションで、正式なメンバーではなかった。
【OFF LIMITS本格始動〜現在】
仕事を辞めたものの、並行してやっていた副業が起動に乗り、さらに、実家の環境も良くなり始め、徐々に生活環境が整い始める。
それと同時に、OFF LIMITSでは、メンバーの入れ替わりがある中、現メンバーのKODYとTaboが残り、ボーカル&ドラムという現2人スタイルを確立。
ここで全ての環境が整い、OFF LIMITSが本格的に始動する。
精力的にライブ活動と制作を始め、現在に至る。
『TABO』
【小学生時代】
負けず嫌いで、マイペース。
空想することが好きで、1人遊びを良くしていた。
少し変わり者だったのか、親や先生から注意を受けることが多かった。
【中学生時代】
学校にあまり馴染めず友達が少なかった。
野球部に入ったが、キャッチボールの相手がいないこともあった。
中3で仲良くなった子が、ギターをしていたので、音楽に興味を持つ。
自分自身を変えたくて、ドラムを始め、バンドを組み、文化祭で初めてライブ経験した。
【高校生時代】
お笑いが好きになり、陽気なキャラに変貌していった。
性格が明るくなったので、人間関係が良くなり始める。
中高の友達とハードロックバンド[DERINJAR]を結成。
初めてライブハウスに出演する。
以降、ライブ活動や音源制作など、音楽活動が活発になる。
【大学生時代】
ドラムのスキルを磨きたいと思い、軽音楽部に、入部しようとしたが、軽音楽部がなかったため、軽音楽部を設立。
4年間部長を務める。
さらに、友達や先輩のバンドに、ヘルプで入ったり、ドラムレッスンも習い始めたり、自己鍛練に励んだ。
[DERINJAR]でも勢力的に活動し、FMラジオなどにも出演するが、中々結果には繋がらず、淡々とライブをこなす日々が続いた。
【フリーターでバンドマン】
[DERINJAR]での、企画ライブの経験から、バンドとは別でイベント企画を定期的に始める。
「ギターボーカルに挑戦したい」という思いからポップスロックバンド、[Go on REI]を結成、
高校時代の同級生が組んでいた、Jロック系バンド[Pastel Make Noise]にヘルプで参加、後正式加入、
アイドルグループを立ち上げ、作曲とバックバンドを担当、
色々なことに挑戦するが、どれも中途半端なまま、音楽漬けの日々が、ただただ過ぎていく。
【人生暗黒期①】
「DERINJAR」脱退、「Go on REI」活動休止、「Pastel Make Noise」脱退、人脈も徐々に減少し、イベント企画やアイドルもできなくなる。
さらに、長く続けてた仕事先が倒産し、職を失う。
立て続けに起こるできごとを、受け止めきれず、頭がパンク状態になり、ショックで、しばらくひきこもり生活になってしまう。
【小さく再スタート】
ショックから少し立ち直ってきた頃、就職活動を始めるも、全くうまくいかず社会の厳しさを痛感する。
ひきこもりの最中、音楽の裏方に、興味をもち、レコーディングや音楽編集を、独学で勉強し始める。
その頃に仲の良かった後輩とバンド組み、緩くバンド活動を始めた。
【人生暗黒期②】
就職活動が中々上手くいかず、気持ち不安定な状態になる。
余裕がない状態なのもあってか、バンドメンバーともすれ違ってしまい、バンド解散。
さらに、親族間でトラブルが発生し、家庭環境が大きく変化する。
家族の仲も悪くなってしまい、ストレスや生活習慣などが原因で、突発性難聴になる。
【視野をひろげて新たな挑戦】
就職活動が上手くいかない最中、個人事業に挑戦してみようと、ライブイベントとドラムレッスンの事業を、小さく始める。
【相方との出会い】
いつも使っていた、練習スタジオの店長さんの飲み会で、KODYと出会う。
KODYも新たにバンド始めようと、メンバーを探していたので、ベースのヘルプで加入することになった。
OFF LIMITS(仮)結成。
【OFF LIMITS(仮)~OFF LIMITS】
コロナでライブイベントとドラムレッスンの事業ができなくなってしまう。
OFF LIMITS(仮)もコロナの影響で、活動やメンバー探しが中々上手くいかない。
そんな中でも、諦めずに、粘り強く活動を続けるKODYの本気度に、心打たれ、音楽での再スタートを決意する。
【OFF LIMITS本格始動〜現在】
資格を習得し、やっと仕事関係が上手くいき始める。さらに、家庭の環境も良くなり始め、徐々に生活環境が整い始める。
それと同時に、OFF LIMITSではメンバーの入れ替わりがある中、現メンバーのKODYとTABOが残り、ボーカル&ドラムという現2人スタイルを確立。
全ての環境が整いOFF LIMITSが本格的に始動する。
精力的にライブ活動と制作を始め、現在に至る。
【小学生時代】
小学5年生まで、ぽっちゃりした体型で、運動嫌いの、家で友達とゲームをしたり、漫画を読んだりする事が好きな少年だった。
小学6年生の頃に、成長期に入り、急激に身長が伸び、体型もスリムになり、スポーツの楽しさに目覚め、サッカーにのめり込むようになる。
【中学生時代】
周囲からは、サッカー部に入ると期待されながらも、その期待を大きく裏切り、ソフトテニス部に入部。
「多くの友達がソフトテニス部に入ったから、その流れで」という、適当な理由からだった。
入部してしばらくは、テニスの練習に身が入らず、サボって、ずっとサッカーの練習ばかり見ていた。
そこに、たまたま来ていたOBの先輩に、素振りを褒められ、才能があると思い込み、その勘違いがキッカケで、そのままテニスにのめり込むようになる。
その勘違いから、レギュラーにまで昇り詰め、大会でも優勝、ベスト4など、まさかの好成績を収めるまでになる。
勉強と部活を両立しながらも、高校では、硬式テニスで上を目指す事を決意する。
【高校生時代】
硬式テニスをする事を目的にして、高校を選んだ事もあり、そのまま硬式テニス部に入部。
中学生の頃の先輩も多数おり、すぐに馴染む事が出来て、この頃には、勉強は手につかず、完全にテニス漬けの毎日を送るようになる。
この頃に、たまたま友達と行ったカラオケで、声を褒められ、バンド加入の勧誘を受ける。
しかし、全く興味が湧かず、テニスに没頭。
ただ、これが後に、音楽を意識するキッカケとなった出来事となる。
【大学生時代】
大学も、高校同様、テニスを目的として選んだという事もあり、入学前から練習にも参加し、当然テニス部に入部。
大学まで部活でスポーツをしてるとなると、当時は、ゴリゴリの縦社会の体育会系が多く、その洗礼をガッツリと受ける。
その中で、揉まれながらも、テニスに打ち込み、大会でも好成績を残し、ここでもテニス漬けの生活を送る。
しかし、卒業する頃には、テニスを続ける事の限界も感じ始め、違う道を考えるようになる。
【社会人デビュー期】
大学を卒業する頃に、就職活動等を経験するうちに、経営に興味を持ち、それを見越して、某飲食店に就職。
しかし、半年も経たない内に、店長と大喧嘩し、逃亡。
正社員として、入社したにも関わらず、そのまま飛んでしまうという大事件を起こす。
多くの方に、とてつもないご迷惑をおかけしたのは、言うまでもございません。
そこから、スーツを着たまま、何も持たず、全ての人の連絡を断ち、東京へ向かうという謎の行動を起こす。
そこから、東京でアルバイトを見つけ、ホテル暮らしを開始。
その間、親からは、警察に捜索願いを出される等、毎日、本当に色々な方から連絡が入る中、ひたすらに無視をし続けて、東京生活を送る。
【人生暗黒期①】
東京で生活を始めてから、わずか4ヵ月という短い期間で、お金が底をつき、実家へ戻る。
その時に、逃亡して以来、初めて親に連絡を取る。
戻ってからは、全てを説明し、全ての方に謝罪をし、一旦実家で生活する事のお許しを得る。
この頃は、テニス、経営、目標にしてたものを全て失った気持ちになっており、しばらく廃人のような生活を送る。
【1冊の本との出会い】
東京から大阪へ戻って、約1ヶ月間。
廃人のような生活を送る中で、たまたま立ち寄った本屋で立ち読みした本に、感名を受ける。
これが、再起を図るキッカケとなる。
もう1度、新しい目標を立てて、動き出す事を決意する。
【新しい目標】
テニス、経営、今までにやってきた、思ってた事とは違い、全く新しい目標を探す中で、ここで、高校生の時に、カラオケで声を誉められた事を思い出す。
大学生の時、社会人になってからも、よくカラオケに行ってた事を思い出して、歌を歌う事を意識するようになる。
【バイト生活開始】
歌を歌うという事を意識し始めて、そこから何をすれば良いのかが、全く分からない中で、色々な歌をコピーする事を思いつく。
そこで、色々な曲を知らないといけないと考えて、某CDレンタルショップでバイトをする事を思いつく。
この時期は、ひたすらバイトをして、お金を家に入れながら、CDを借りまくって、曲を覚えて、毎日カラオケに通って練習するという、修行僧のような日々を送る。
【崩壊】
ひたすらバイトをして、ひたすらカラオケで歌の練習をする毎日の中、親父が自己破産をする事になり、実家の経済状況が崩壊する。
その事により、親父がお酒に溺れるようになり、母親も精神状態が不安定になる。
【工場に就職】
自分が実家を支える事を決意し、バイトを辞め、工場に正社員として就職する。
工場の給料だけでは足りないため、副業も並行して開始。
しかし、この頃でも歌う事は諦めておらず、バイトの頃よりは、練習出来る時間はかなり減ったものの、細々と練習も継続する日々。
【ボーカルスクール入門】
毎日仕事で忙殺される中、「リハーサルスタジオ」という存在を知る。
本格的に歌を歌えるようになる為には、練習環境も大事という事で、練習場所にスタジオを利用するようになる。
その関係で、某ボーカルスクールを紹介され、週1で通うようになる。
【バンド結成】
ボーカルスクールで、1人のギタリストと出会い、意気投合し、バンドを組む事を目指すようになる。
街の楽器屋、スタジオを片っ端から聞いて周り、ベースとドラムが見つかる。
ボーカル、ギター、ベース、ドラムの4人が揃い、初のバンド結成が決まる。
【人生暗黒期②】
バンドを結成したものの、メンバー間での意見の食い違いから喧嘩をする事が多くなり、活動が停滞する。
ちょうど、この時期くらいから、仕事でキャリアを重ねた事もあり、さらに忙しくなり始める。
毎日の仕事が、かなり忙しくなる事と、バンドは上手くいかない事と、実家の環境もかなり悪化した事も重なり、精神的に追い込まれまくる日々が続くようになる。
【相方との出会い】
全ての事が上手くいかない状況が続く中、バンドを解散する事が決まる。
そしてさらに、あまりにも理不尽な事が多いという理由で、仕事も辞めてしまう。
ちょうどそんな時に、練習で通っていたスタジオの店長さんがやっているバンドのライブの誘いを受ける。
そのライブの打ち上げに参加した際に、現OFF LIMITSの相方と出会う。
【OFF LIMITS結成】
現相方と出会ってすぐ、バンドの結成が決まる。
相方が元々紹介したかったというギタリストと、自分が以前にやっていたバンドのドラムが参加し、初代OFF LIMITSが誕生する。
因みに、この頃の相方は、サポートメンバーでベースというポジションで、正式なメンバーではなかった。
【OFF LIMITS本格始動〜現在】
仕事を辞めたものの、並行してやっていた副業が起動に乗り、さらに、実家の環境も良くなり始め、徐々に生活環境が整い始める。
それと同時に、OFF LIMITSでは、メンバーの入れ替わりがある中、現メンバーのKODYとTaboが残り、ボーカル&ドラムという現2人スタイルを確立。
ここで全ての環境が整い、OFF LIMITSが本格的に始動する。
精力的にライブ活動と制作を始め、現在に至る。
『TABO』
【小学生時代】
負けず嫌いで、マイペース。
空想することが好きで、1人遊びを良くしていた。
少し変わり者だったのか、親や先生から注意を受けることが多かった。
【中学生時代】
学校にあまり馴染めず友達が少なかった。
野球部に入ったが、キャッチボールの相手がいないこともあった。
中3で仲良くなった子が、ギターをしていたので、音楽に興味を持つ。
自分自身を変えたくて、ドラムを始め、バンドを組み、文化祭で初めてライブ経験した。
【高校生時代】
お笑いが好きになり、陽気なキャラに変貌していった。
性格が明るくなったので、人間関係が良くなり始める。
中高の友達とハードロックバンド[DERINJAR]を結成。
初めてライブハウスに出演する。
以降、ライブ活動や音源制作など、音楽活動が活発になる。
【大学生時代】
ドラムのスキルを磨きたいと思い、軽音楽部に、入部しようとしたが、軽音楽部がなかったため、軽音楽部を設立。
4年間部長を務める。
さらに、友達や先輩のバンドに、ヘルプで入ったり、ドラムレッスンも習い始めたり、自己鍛練に励んだ。
[DERINJAR]でも勢力的に活動し、FMラジオなどにも出演するが、中々結果には繋がらず、淡々とライブをこなす日々が続いた。
【フリーターでバンドマン】
[DERINJAR]での、企画ライブの経験から、バンドとは別でイベント企画を定期的に始める。
「ギターボーカルに挑戦したい」という思いからポップスロックバンド、[Go on REI]を結成、
高校時代の同級生が組んでいた、Jロック系バンド[Pastel Make Noise]にヘルプで参加、後正式加入、
アイドルグループを立ち上げ、作曲とバックバンドを担当、
色々なことに挑戦するが、どれも中途半端なまま、音楽漬けの日々が、ただただ過ぎていく。
【人生暗黒期①】
「DERINJAR」脱退、「Go on REI」活動休止、「Pastel Make Noise」脱退、人脈も徐々に減少し、イベント企画やアイドルもできなくなる。
さらに、長く続けてた仕事先が倒産し、職を失う。
立て続けに起こるできごとを、受け止めきれず、頭がパンク状態になり、ショックで、しばらくひきこもり生活になってしまう。
【小さく再スタート】
ショックから少し立ち直ってきた頃、就職活動を始めるも、全くうまくいかず社会の厳しさを痛感する。
ひきこもりの最中、音楽の裏方に、興味をもち、レコーディングや音楽編集を、独学で勉強し始める。
その頃に仲の良かった後輩とバンド組み、緩くバンド活動を始めた。
【人生暗黒期②】
就職活動が中々上手くいかず、気持ち不安定な状態になる。
余裕がない状態なのもあってか、バンドメンバーともすれ違ってしまい、バンド解散。
さらに、親族間でトラブルが発生し、家庭環境が大きく変化する。
家族の仲も悪くなってしまい、ストレスや生活習慣などが原因で、突発性難聴になる。
【視野をひろげて新たな挑戦】
就職活動が上手くいかない最中、個人事業に挑戦してみようと、ライブイベントとドラムレッスンの事業を、小さく始める。
【相方との出会い】
いつも使っていた、練習スタジオの店長さんの飲み会で、KODYと出会う。
KODYも新たにバンド始めようと、メンバーを探していたので、ベースのヘルプで加入することになった。
OFF LIMITS(仮)結成。
【OFF LIMITS(仮)~OFF LIMITS】
コロナでライブイベントとドラムレッスンの事業ができなくなってしまう。
OFF LIMITS(仮)もコロナの影響で、活動やメンバー探しが中々上手くいかない。
そんな中でも、諦めずに、粘り強く活動を続けるKODYの本気度に、心打たれ、音楽での再スタートを決意する。
【OFF LIMITS本格始動〜現在】
資格を習得し、やっと仕事関係が上手くいき始める。さらに、家庭の環境も良くなり始め、徐々に生活環境が整い始める。
それと同時に、OFF LIMITSではメンバーの入れ替わりがある中、現メンバーのKODYとTABOが残り、ボーカル&ドラムという現2人スタイルを確立。
全ての環境が整いOFF LIMITSが本格的に始動する。
精力的にライブ活動と制作を始め、現在に至る。
- 24/9/23
- 「Leave me alone」のミュージックビデオを公開。
- 23/06/05
- OFF LIMITS結成。